大相撲九州場所の記憶

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2017年06月12日

稀勢の里関の横綱昇進に続いて大関 高安関の誕生で相撲界は大いに盛り上がっていますね。
来月は名古屋場所、9月は秋場所と続いて11月には九州場所が開催されます。
会場となる福岡国際センターは、当社から徒歩10分ほどのところにあります。
実はヒロカネも大相撲に関わるお仕事をさせていただいておりますので、ご紹介いたします。

 相撲①

地場大手の西日本新聞社様によって設立された「年間最多勝」のトロフィーです。
写真だと大きさが分かりづらいかもしれませんので、ボールペンを横においてみました。
高さは約98cm、最大直径は約40cm、重量20数キロ、銀製の大きなトロフィーです。

 「年間最多勝」ですので、九州場所の優勝力士がもらえるとは限りません。
その年の初場所から九州場所までの6場所通算で最も多く白星をあげた力士に贈られる賞です。
しかし、トロフィーの正面には「優勝」の文字が。画像では見難いのですが、トロフィーの背面には
「昭和三十年十一月 大相撲九州準本場所」、「昭和三十二年十一月 大相撲九州本場所」と彫刻されています。
歴史をひもとくと、大相撲九州場所は昭和三十年(1955年)から二年間は準本場所として開催され、昭和三十二年(1957年)に本場所に
昇格したそうです。推測ですが、このトロフィーは準本場所時代の二年間は九州場所の優勝力士に贈呈され、本場所昇格以降に年間最多勝力士に贈呈されるようになったのではないかと思います。
ちなみに昭和三十二年は七月場所が開催されず、年間5場所で、翌年の昭和三十三年から年間6場所制となりました。

前置きが長くなりました。
歴代の年間最多勝力士(=最優秀力士)の名前をプレートに彫刻して、トロフィーの台座に取り付けていたのですが、
このたび台座部分がいっぱいになりましたので、プレートを外し1枚の額に貼りかえることになりました。
その数、なんと60枚!ちなみに上の写真はプレートをすべて外してしまったあとのものです。
外したプレートがこちら。

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写真の上部のプレートがここ数年のもので、左下が最も古いものです。
さすがに経年変化でプレートの表面もくすんだり、変色したりしています。
60年の歴史の重さを感じずにはいられません。
昭和30年代から40年代にかけては栃若、柏鵬、40年代終わりから50年代へは輪湖といった、終生のライバル同士の名前が刻まれています。昭和50年代後半はウルフと呼ばれた千代の富士、平成に入り若貴とハワイ出身の曙、武蔵丸。
そして平成十四年からは朝青龍と白鵬のモンゴル出身力士の独壇場です。平成十年度の若乃花関以降、日本出身力士で年間最多勝を獲得した力士はいませんでしたが、昨年実に十八年ぶりに日本出身の力士の名前が新たに刻まれることになりました。
おわかりでしょうが、稀勢の里寛関です。

 今回、プレートを外した台座を手直しして稀勢の里関のプレートを取り付けます。
これから60年間、一年一年新たなプレートが増えていくことになります。プレートがいっぱいになる頃には、この世にはいませんが、
大相撲の更なる繁栄とともに、このトロフィーも勝者を讃え続けていってほしいと思います。

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昔の彫刻は、職人さんによる手彫りです。大鵬関のプレートは毎年、同じ職人さんが彫られていたのでしょう。
味がありますね。

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年度によって「最優秀力士」だったり「最優秀力士賞」だったり、文字の大きさが違ったり、殿がついたりつかなかったり。
小さいことは気にしない、おおらかな時代だったんでしょうか。

平成十一年度頃から職人さんの手彫りではなく、機械で彫刻するようになりました。
直近の白鵬関のプレートと昭和三十七年の大鵬関のプレートを比べてみました。厚さが全然違いますね。

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