伊藤博文の通学鞄

西洋では、ランセルと申しております。
 明治20年(1887年)、明治天皇の第三皇子(のちの大正天皇)がいよいよ学習院ご降学と決まった。
ご誕生以来病弱であった皇子がつつがなく成長され、この度のご通学となったのだ。
父君天皇はもちろん、総理大臣・伊藤博文や皇子のご養育に当たっていた人々の喜びは大きかった。
 ご通学の報を受けたとき、伊藤博文は皇子に特製のご通学祝いをしようと思い立った。
お祝いの品を依頼してのち、伊藤は出来上がりが待ち遠しくて仕方がなかった。
 その日、伊藤は青山御所へ急いだ。外はすでに夜である。 
「宮様は?」養育主任の老臣を見るなり尋ねたが、もうおやすみとのことである。
伊藤は今まで張りつめていたものが一気にぬける思いがした。 
「首相、こんなお時間に何事で?」老臣は問い返した。
「実は、宮様のこのたびのご通学に当たって、お祝いの品を持って参ったのだが・・・。」  
伊藤は包みを開けてみせた。老臣が見たのはベルトが2本ついた鞄である。 
「これは?歩兵が背負う背嚢のようですが・・・。」 
老臣は伊藤の意を察しかねたようだ。「これを宮様に?」
「いかにも。先年、欧州へ行った折見聞したもので、西洋ではランセルと申して学童が通学に使っております。」
 (また西洋か!)老臣は伊藤の西洋好みを内心苦々しく思っていた。
しかも皇子への献上物に歩兵が使う物とは心外である。
しかし、老臣の気持ちなど意に介さない様子で、伊藤は続けた。
 「宮様のご通学にこれほど最適なものはありますまい。中に学用品をいれて背負われれば、お身体も楽です。さらに咄嗟の折にも両手があいておるので安心というものです。」
 (なるほど。) 老臣はやっとランセルにこめた伊藤の真意を汲みとった。
 翌日、ランセルは皇子の手元に届けられた。
数多く寄せられた贈りもののうちでも、ランセルはことのほか皇子を喜ばせたという。
伊藤博文から通学鞄を皇子へその後、ランセルは学習院で正式に採用されるにおよび、学童の通学鞄として全国に普及していった。
現在の「ランドセル」は、ランセルが訛ったものである。
 相手の身になって選ばれた贈りものこそ、最高の贈りものといえる。
伊藤のランセルは、物珍しさよりも通学の身を案じるまごころの所産ではなかっただろうか。