久次郎のマンドリン
-
「お前にしかできん曲ば作ってくれ!」
大正8年(1919年)5月。朝鮮京城で善隣商業高校へ通う政男少年のもとに、一個の小包が届いた。
贈り主は、大阪で金物屋を営んでいるすぐ上の兄・久次郎だ。
8年前、父が亡くなり、故郷の田口村(現在の福岡県大川市)から一家を挙げて朝鮮に渡ってきて以来、政男には辛いことばかりであった。
叩き上げで金物屋の主人となった長兄は、政男の中学進学の夢を「どうせ商人になるんやけん」と相手にしてくれなかった。
まして、彼の胸中に燃えさかる音楽への情熱や天分などを、理解してもらえるわけがない。
最愛の母までが「お前は誰に似たんやろうねぇ」とため息をつくのだった。
そうした中で四番目の兄・久次郎は、政男を何かにつけてかばい、特異な才能を認めてくれた。
小包を手にすると、兄への懐かしさがこみあげ、急いで包みをほどいた。
その瞬間、政男はまるで雷に打たれたような気がした。以前から欲しくてたまらなかったマンドリンではないか!夢中で抱きしめ、そっと弾いてみると甘く切ない音色が響いた。
その音を聞きながら、政男ははっきりとマンドリンに託した兄の心を感じていた。
「政男!音楽ばするごたっとやろ。するとよか。せめてお前だけは、自分の才能ば思う存分活かす道に行くがよか。このマンドリンで、お前しかできん曲ば作ってくれ!」
政男は泣いた。高価な楽器を手にすることができた喜びよりも、家のために三人の兄たちに続いて黙々と商人の道を歩いている兄が、せめて弟にだけは・・・とかけてくれた精いっぱいの思いやりと愛情が心にしみた。
この兄にもきっと進みたかった道が、思うままに築き上げたい人生があっただろうに・・・。
この時の古賀政男とマンドリンの出会いが、4年後には「明大マンドリン倶楽部」の創設に、そしてやがては日本人の心を唄う数々の古賀メロディの誕生へとつながっていったのである。
兄・久次郎が贈ったマンドリンには、自分の人生に対する哀しみと、弟のそれに向ける深い愛と期待が託されていたのだろう。
だからこそ、この贈りものが弟・政男の人生を拓き、音楽家への道に確かな意図筋の光明を灯すこともできたのではないだろうか。