黄金の杖

社員から黄金の杖をJ・ピュリッツアーへ。

「我々は、いつまでもあなたの杖です。」
1883年、ジョゼフ・ピュリッツァーは16年住み慣れたセントルイスを去る意思を固めた。
彼の新聞、「ポスト・ディスパッチ」紙の編集長が起こした事件の責任を問われ、35歳の若い社主が初めて味わう苦渋だった。社員はそろって彼の辞意に反対した。
「残念だがこれしかないんだ。私はニューヨークで出直すよ。」
ピュリッツァーはそういうものの、社員たちは最高の社主を失うのが残念でたまらなかった。
4年前、彼がこの新聞を買い取った頃、社員には活気も誇りも感じられなかった。
発行部数はわずか2000。地元のニュースは他紙から失敬するありさまを見て、若い社主は第一線に立って記事を書き、紙面に活を入れた。
活気づいた同紙は急速に読者を増やし、今ではセントルイスで最も有力な新聞にまでなっていたのだ。
幹部社員の説得にもかかわらず、ピュリッツァーの決意が変わらぬことを知ると、若い社員の間から別の意見が出た。
「ディスパッチ紙は、我々の手で守ろう。ボスにはニューヨークで活躍してもらうんだ。」
そして全社員の気持ちを伝える贈りものをすることが決まった。
セントルイスを去る日、ピュリッツァーは社員の前で別れを告げた。
そのとき、社員の一人が進み出て、用意した贈りものをおもむろにさし出した。
杖である。頭に黄金の握りがついた特製の品だ。
「私たちの変わらない感謝と尊敬のしるしです。我々はいつまでもあなたの杖です。ニューヨークでもいい仕事を。」
ピュリッツァーは一瞬、言葉を失った。
杖を握りしめる彼に、社員の熱い視線が集まる。
どの目も、負けないでくれ、もっと大きな目標を目指せと語っている。
「ありがとう。」若い社主はそれだけ言うのがやっとだった。
この年、ニューヨークに出たピュリッツァーは、赤字続きの「ワールド」紙を買い取り、有力紙がしのぎを削る新聞界に目覚ましい攻勢をかけた。
社員から黄金の杖をJ・ピュリッツアーへ。そしてセントルイスの期待に応えるように、「ワールド」はついに全米一の新聞に育って言ったのだ。
ニューヨークでの激しい戦いの中で、この黄金の杖はいつも彼を勇気づけ、励ましてくれたに違いない。
彼の遺志で設けられた「ピュリッツァー賞」は、彼に続くジャーナリストに贈られる“ピュリッツァーの杖”である。