名槍「日本号」

名槍「日本号」

「日本一に呑み取られるなら、こいつも本望。」
文禄五年(1596年)正月。京都伏見城下の福島正則の屋敷に、隣家・黒田長政の名代が新年の祝賀に訪れた。
黒田家第一の槍使い母里太兵衛(もりたへえ)である。
正則も太閤秀吉の直臣では、加藤清正に劣らぬ槍を使う。
太兵衛の槍は、そんな正則でさえ一目置き、かつて自藩の槍術指南役にぜひ迎えたいと思わせたほどであった。
一通りの祝賀が済むと、正則は客を酒席に通した。
太兵衛が最初に目を奪われたのは、正則の座の後にかかる槍である。槍身二尺六寸、青貝の螺鈿(らでん)をちりばめた柄を加えると七尺五寸もあろう。
正則が秀吉から賜ったという秘蔵の名槍「日本号」である。
「なるほど、お見事」太兵衛の言葉を待っていたように、正則は話し始めた。
「見事といえば、そちは稀にみる酒豪とか。本日はその腕前を見せてくれぬか?」
返事も聞かず、径一尺余の大盃になみなみと酒を注がせ、
「この一杯、一息に飲み干せば、望みのものを取らせよう。いかがじゃ?」と続けた。
太兵衛は困惑した。名代の身に不覚があってはならぬ。が、正則に引く気配はない。
「恐れながら、あの日本号を賜りますなら」酒席は驚きのあまり静まり返った。
それでも正則に動じる風はない。
「然らば」意を決した太兵衛は大盃の酒を見据えると、一気に飲み干してしまった。
困惑と狼狽が一座を走った。「天晴れじゃ、太兵衛!」沈黙を破ったのは正則である。
やにわに立ち上がると日本号をわしづかみにし、あわてて制する家臣を抑えて言った。
「余の無礼を許せ、これはお手並みに捧げる引き出物じゃ、持って行かれい。日本一に呑みとられるなら、こいつも本望じゃ、ワッハハハハ・・・・。」
このときになって太兵衛はハッと気がついた。
これは正則の精一杯の狂言なのだ。秀吉の手前をはばかり、彼は酒席の戯言にのせて名槍を呑みとらせてくれたのだ。酒の上の余興でなら、秀吉も咎め立てはするまい・・・。
福島正則から名槍「日本号」を母里太兵衛へ。「お心、ありがたく拝領」太兵衛が目の周りを熱く感じたのは、酒のせいだけではなかっただろう。
「黒田節」には名槍を呑みとる黒田武士の豪快な姿がある。
日本一の名槍を日本一の使い手に贈った正則の機知と豪気もその姿に重なるのである。