漢委奴国王 金印

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2024年02月07日

志賀島金印公園志賀島金印公園

志賀島出土国宝「金印」について

「漢委奴国王印」(かんのわのなのこくおういん)は西暦57年、後漢の光武帝が日本の国の使者に授けたという印綬のことで、天明4年志賀島の百姓甚兵衛によって、志賀島の西海岸叶崎より発掘された。

高22mm、厚さ8mm、一辺23mmの正方形の純金(23金)の印鑑で印面は漢委奴国王の五字が凹刻されており、これは、漢(かん)の委(な)の奴(わ)の国王と読むことに学説が統一されている。

発掘当時の記録(甚兵衛口上書)によれば、叶崎の海岸にある田地の溝を作り直していると、大きな石が出てきたので金挺で掘り除いてみたところ、その下に光るものがあるので拾いあげ水ですすいでみると金の刻印のようなものであった。甚兵衛これを兄の喜兵衛に託し博多の商人に売ろうとした。商品才蔵これを鋳つぶして武具の飾りにするため都庁に届け出たのであるが、これを知った当時の有名な学者亀井南冥が大いに驚き、15両で買い取りたい旨申出て許されなかったので、更に100両でもとの申出に郡役所では却って驚き、書状をつけて藩庁に届け出た。藩庁では早速、亀井南冥外数名の学者にこれについての考証をなさしめると共に、甚兵衛には若干の金子を与えて金印は黒田家に収め、以来黒田家の家宝として庫裡深く蔵されることとなった。

昭和54年秋、福岡市美術館が開館するに先立って、国宝「金印」は黒田家より寄贈され、現在福岡市博物館で、広く国民に公開されている。

その後も、学者間では金印について盛んな論争が行われ、如何なる理由でこの貴重な金印が志賀島に埋もれていたかということについては王宮説、墳墓説、遺棄説、あるいは偽物説まで飛び出す有様であったが、それも漸く固まりつつあると言われる。

と長々と説明いたしましたが、当店にあるのがこの金印のレプリカです。非常に精工にできております。悠久の歴史の謎を感じることができるのではないでしょうか?