チャップリンの腕輪

さっきの店でちょっと失敬したんだ。
  1944年のこと。ビバリーヒルズの宝石店にチャップリン夫妻が入ってきた。
  54歳のチャップリンと18歳の新妻ウーナ、まるで親子のようなふたりである。この日はウーナ夫人の化粧箱を修理するため、近くの店に出かけたのだ。待っている間、ふたりはショーケースの品々を物色していた。中でもウーナがため息を漏らしたのは、ダイヤモンドとルビーをちりばめたみごとな腕輪だった。
  チャップリンも気に入ってしきりに勧めたが、ウーナは自分には高価すぎるといって断ってしまった。彼女はチャップリン夫人になったその日から、つつましい妻に専念することを固く決心していた。チャップリンと36歳も離れた4番目の妻ウーナ、その結婚は当時、ジャーナリストたちの注目の的であった。財産目当ての結婚などという陰口も聞かれた。そのためか、ひそやかな結婚式から半年後の今も 彼女は結婚指輪さえ受け取ろうとしないのだ。
 店を出て車に戻るなり、チャップリンは硬い声で言った。
「急いでくれ、フルスピードだ!」車が走り出すと、彼はポケットからそっと腕輪を取りだした。
 彼女が先ほどため息を漏らした例の腕輪である。
「君が他のを見ているすきに、さっきの店でちょっと失敬したんだ。」
 ウーナは真っ青になった。
「いけないわ!ひどいことを・・・」彼女は車を裏通りに入れ、急停車させた。
「どうしたらいいか、考えてみましょう」「しかし、いまさら返すなんてとても・・・。僕を刑務所に入れたいのかね?」そう言ったものの、ウーナの困りきった表情を見て、もうこれ以上嘘を続けるわけにはいかなかった。
「冗談だよ!」ふき出しながら、彼はウーナに白状した。実は、彼女が他の品を見ている間に、店の奥でそっと買っておいたのだ。
歴史に残る贈り物「奥様、腕輪をどうぞ。これでもまだご不満ですか?」少年のようにいたずらっぽい笑顔から、ウーナはチャップリンのまごころを見てとった。
 彼女は、いたずらっ子をたしなめる母親のようにあったかい口づけを彼に贈った。
 喜劇王チャップリンが、最愛の妻にプレゼントしたこの腕輪は、迫真の演技とユーモアのリボンをかけた愛の贈りものであった。