シーボルトの医療器具

「育ちかけた医学の芽を枯らせてはならない。」
文政十一年(1829年)十月、後にいうシーボルト事件が起きた。長崎オランダ商館の医師シーボルトが禁制の日本地図を所有しているのが発覚、そのために日本追放の裁きが下されたのだ。
シーボルトには、日本女性お滝との間に2歳半になる娘イネがいた。頑迷に鎖国を守るこの国に妻子を残して去るのは、もはや生涯の別れに等しい。シーボルトは思い悩んだ末、二人のことを私塾の門人に託すことにした。
文政十二年十二月五日早朝、シーボルトを乗せたオランダ船が出島の岸壁をひっそりと離れた。
お滝たちの姿はなかった。罪人の見送りはもとより許されない。
しかし、汽船が小瀬戸にさしかかると小船が朝霧のなかから姿を現わした。
約束通り、お滝がイネを抱いている。
門人が密かに漕ぎ寄せた船に飛び乗り、シーボルトも小瀬戸に向かった。
二艘の船が浅瀬に並ぶ。シーボルトは小さな木箱をお滝の前にさし出した。
「これをおイネに」お滝はにわかに理解できない様子だった。
愛用のメスやハサミ類を収めたこの箱は、今まで誰にも触れさせようとしなかったものだ。
「大切な道具を、なぜおイネに?」シーボルトは娘を抱き寄せながら答えた。
「この子に継がせて、立派に育ててほしい。やっと育ちかけた医学の芽をこのまま枯らせてはならない」その時、船がぐらりと揺れた。潮が満ちてきたのだ。急き立てられるように、シーボルトの船は小瀬戸を離れた。この日からイネのつらい運命が始まる。
激動する歴史の中で彼女は父の志を継ぎ、門人たちから外科医の手ほどきを受け始めた。
そして婦人科の修業を終えたのは27歳の秋。安政元年(1854年)、日本最初の女医が誕生したのである。あの日から数えて30年後、イネは父との再会を果たした。
懐かしそうに見つめる父シーボルトに、イネは古びた木箱をさし出した。
P・シーボルトから医療器具を娘イネへ。「覚えておいでですか?」ふたを開けると医療用の器具がキラリと光った。「これを今も?」父の驚きに、イネは嬉しそうに答えた。「はい。これが私の父だったんですもの」
日本に近代医学の根を植えつけ大きく育てた陰に、ドイツ人の父から娘に贈られた古びた医療器具があった。
「医は仁術」という言葉があるが、この贈りものはそれを象徴しているようだ。